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G-雑記

社会人のたまに更新されるぼんやりとしたブログ

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泣きたい時に見るもの

泣きたい時に見るものが、人によってはある。
ある人は映画。ある人はドラマ。見る、というものではないが音楽。

自分にはそういうものが無かった。泣きたいと思う時もなかったのだが。
それが見つかった。正確に言えば、これだと確信した。

「ひぐらしのなく頃に 賽殺し編」である。

何を馬鹿なことを言っているんだ、と思う人が多いかもしれない。
一般的には、ひぐらしの世界は惨劇だ、グロテスクな表現が多いと思われている。
(実際、前半の物語はそうなので否定はできないのだが。)

でも、私はこの物語を読むと泣ける。
もう日があけたので昨日になるが、3度目の読み直しでも泣けた。
思いっきり泣こう、と思って、思いっきり泣けた。

以下、若干ひぐらしに関して重度なネタバレあり。
見たくない人はスクロールしないように。
そして賽殺し編を読んで感想を教えてください。


ある夏の日、町まで遊びにいった帰り、道路でふざけてトラックにはねられてしまう。
目をさましたと思ったら、そこは同じ村の、でも何かが違う世界だった。
その世界では、元の世界で共に戦った親友達に「罪」がない。
いつまでも悔い続けてきた「罪」のない世界だった。
そして、元の世界のように自分と友達ではなかった。
私は別の世界の人間だから、元の世界に戻ればいいんだ、と
今いる世界とは交わらないよう、感情を入れ込まないよう決める。
しかし元の世界に戻ることは容易ではなかった。元の世界に戻るため、
その方法から探さなければならない。

そんなある日、前の世界で友達であった人達から、あまりに孤立しているが故に、
それを少しでも改善しようと思い、仲良くなるために、「部活」を始めようと持ちかけられた。
また、その際に忠告を受けた。今の世界の自分はもとの世界の自分とは違うはずなのに、
なぜか前の自分に言われているような感覚を覚える。
そして、「部活」に交わることでまた前の世界と同じような世界が取り戻せるのではないか、
「罪」のない世界の方が、彼らにとって幸せではないか、と思い始める。

その同じ日。ついに元の世界にもどる方法が判明した。
少しずつ掴んでいた、元の世界に戻る方法。嫌な予感を持ちつつも、
そうではないようにと願いながら探していた。しかしその予感はあたってしまった。
その方法とは「母親を殺すこと」である。
元の世界は必死に生き抜いた、とても輝いて見える世界。
今の世界は、現時点ではよくない世界ではあるが、努力すればいい世界にすることができる。
どちらの世界も捨てることの出来ないような世界だった。
その選択にはタイムリミットがあり、判明した時点からおおよそ24時間であった。
もし選択すること自体を放棄すれば、今の世界にとどまることになる。
どちらを選ぶにせよ、消極的な選択はしないようにと忠告を受け、眠る。



・・・・気がつくと、病院のベッドの上にいた。
私の前に現れる人物には、上の表現を用いるならば、「元の世界」にしかいない人物がいた。
つまり、元の世界に戻る選択をしたのだった。
それは、「今の世界」だった場所で「母親を殺した」ということも表していた。

この話を友達に話した。
皆は揃って、「この世界に戻ってきて正解だ、自分でも戻ることを選ぶ」と言った。
罪のない世界の自分よりも、それを悔やんで頑張ってきた、この自分の方が尊いんだ、と言う。
罪のない世界、罪のある、それでも頑張った世界、どちらを選べばよかったのか、
まだ悩んでいる自分に、その友達の一人が教えくれた。

「それを悩むことは、人間のすることではない、神様がすることだ」と。
ifの世界はない。それを思い浮かべたとしても、選ぶことは出来ない。
なら、それを悩んでも意味のないことなんだ。だから、今生きる世界をよくしようと
必死に頑張ることしか出来ないんだ、と。

選択をする場面には、その選択肢を選ぶ前に、もうひとつ選択肢がある。
「その選択をするか、否か」。
積極的に選択をし、頑張ることが、人間にとって大事なことだ、と。






以上、大体のお話。ごめんなさい、相当なネタバレです。
もしかしたら消しちゃうかもしれません。著作権にかかわってしまうかもしれませんので。
私の文章力ではうまくまとまってないと思いますので、なぜ感動するのかわからないかもしれません。

ひぐらしは、ちゃんとストーリーを知らないとただの暴力的なアニメにしか思えないかもしれません。
でも、きちんと最後までやった人にはわかると思います。

そんなわけで、これから泣きたいと思ったらまた賽殺し編をやろうと思います。

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